私、スマホからガラケーに替えました!!
しかも簡単ケータイです(笑)
なぜかというと子供が寝静まった夜にふと
子どもの顔とスマホの画面、どっちを多く見てるのかな~
と考えたことがはじまり。
胸を張って子どもの顔のほうが見てると言えない自分。
見ないように努めてるつもりでも少し時間があるとついつい見てる。
特に何が見たいってわけでもないのにとりあえずfacebook、LINEとかを無意識に開いてる。
挙句の果てにスマホを見てるからちょっと待っててとか子どもに言ってる自分。
はあ~母として失格。
少なくとも私はそう思いました。
それでなくても子どもが2人に増え一人一人に関わる時間がどうしても減ってしまっている。
そしてもうすぐフルタイムで仕事にも復帰する。
1日の中で子どもと顔を合わす時間が減ってくのに自分は何をやってるのかな。
でもスマホからの情報がなくなることも想像できず、スマホを辞めたいけど、辞める決心もつかない自分に悶々とした日々を過ごしてました。
そんなときに読んだ映画『うまれる』の監督豪田トモさんのブログ。
facebookを見なくなって娘さんが懐いた気がする
それはよそ見をしなくなったご褒美かもしれないという文章が心にグサッと刺さりました。
そこにあるのに見ないというのは私の性格上、多分無理。
だったらもうガラケーに替えてしまおう!!と思ったわけなのです。
そしてこのブログを読んだ4日後にはガラケーに替えました。
思い立ったら即行動。この行動力だけは自信がある。
ただ、完全にスマホ離脱ができたわけではなく、今までのスマホでwifiを使ってネットチェックをしてます。
なんだかんだ言ってもfacebook で情報は集めたいし、LINEを使ってグループトークしたり画像を送ったりするのも便利です。
でもガラケーにするという思い切った行動をとったことでかなり意識が変わり、子どもたちが起きてる間はスマホをほとんど見なくなりました。
完全に辞める勇気はいまだにないけど、一回距離を置くとそんなに重要なものでもなかったなと思えてくるものです。
スマホをガラケーに替えたという話をしたらこんなことを話してくれた友人がいました。
「バスとか電車で老人を見かけたら積極的に譲ったほうがいいらしいよ。それは老人のためではなくていいことをしたって自分が思うことで自己効力感が上がるんだって~」
まさしく!
私は多分子どものためにガラケーにしたというより自分の母親としての自己効力感を上げたかったんだと思う。
日々子どもたちとの関わりに全然自信がない私。
脱スマホで母としての*自己効力感が少し上がった気がする。
せこい方法かもしれない。でも結果として子どもの顔を見る時間、関わる時間は実際増えたからいいんです。
脱スマホが全てではありません。スマホが悪と言いたいわけではないです。
便利なスマホとうまく付き合えることが一番の理想。
でも一度考える時間を持ってみてもいいと思います。
スマホを見ててふと子どもを見るとじーっとこっちを見つめてたという経験はないですか?
私は何度かありました。
すごくドキッとします。この子はこんなに見つめてくれてたのに私は知らず知らずに無視していたんだとそのたびに申し訳なく思ってました。
子どもの成長は思ったよりもずーっと早いもの。
せめてスマホの画面よりも子どもの顔のほうが多く見てるって胸を張れる母でいれたらなと思います。(Miho)
*自己効力感とは?
人が何らかの課題に直面した際、こうすればうまくいくはずだという期待(結果期待)に対して、自分はそれが実行できるという期待(効力期待)や自信のこと(コトバンク参照)