親愛なる助産師さんへ

これからも助産師さんとともに・・・

3月のシンポジウム、京都での報告会で登壇した時の、スピーチです。


私は、3人の子どもを助産院で産みました。

静岡から、お母さんの立場で、出産ケア政策会議に参加してきました。自分が想像していた以上に現代のお産を取り巻く環境は厳しく、京都に足を運ぶたびに現実を突きつけられ、正直なところ、とんでもないとこに足を突っ込んでしまったなと思ったりもしましたが、ともに学ぶ志の高い助産師さんたちに励まされ、家族に背中を押され、今、この場に立っています。

さて、助産師のみなさん、知っていますか?

助産師さんたちには、女性の人生をがらりと変えてしまう力があることを!

私には、マイ助産師さんがいます!

3年位前、長男が、次男の鼻の穴にラムネを詰めたことがありました。ちょうど鼻にすっぽり入るくらいの硬いラムネです。取ろうとして、指を突っ込むと、ラムネは奥 へ、そのうち鼻の奥で溶け出して、その痛みで泣き叫ぶ弟、神妙にしている兄、見守る妹…これは、運転中の出来事です。本当にどうしょうもないけれど、パニックを起こしている次男をみて、真っ先に思い浮かんだのが助産師さんでした。

とりあえず、助産院に行ってみよう。

ふつうお母さんは、鼻にラムネを詰めて大号泣する息子を助産院には、つれてかないと思います。むしろ、連れてったら、迷惑だということ、冷静になればわかります。でも、どうしようもなく困ったときに、ふっと頭に浮かび、すぐに頼れる場所がある、そこに自分たち家族のことを分かってくれる人がいるというのは、どれだけ心強いか、ありがたいか。

私にとって、その存在こそがマイ助産師さんです。

結局、助産院について間もなく、大号泣しすぎてくしゃみ、ラムネ飛び出す!助産師さんは終始笑顔で対応してくださったものの、本当に、お騒がせな家族です…

 

さて、私が妊娠したのは、夫の転勤で、縁もゆかりもない静岡に引っ越してきてすぐのことでした。

それと同時に血が出るほど吐き、あらゆるにおい、TV、文字、日光でさえも受け付けないひどいつわりに悩まされました。夫も仕事が忙しく、周りには相談する人もなく、ずっとカーテンを閉めて暗くした家で一人で引きこもって過ごしていました。

私は、小さなときから、お母さんになることが夢でした。

いつか、妊娠するのを楽しみにしてました。でも、実際には、嬉しいはずが、不安や苦しみに耐える日々でした。こんなはずじゃなかった…何も知らない自分に驚き、失望しました。

きっと近いだろうと最初に選んだクリニックは、お城のような作りで、受付には、貴族のような服を着た人がいて、なんだか場違いなところに来た感じでした。

また、毎回、検査ごとに担当者が違うこと、

誰が看護師さんか助産師さんかも区別もつかないこと、

機械的な検査、電動で足が開く診察台、

カーテンを隔てて、モニター越しでの診察・・・

恥ずかしさのあまり頭の中は、真っ白で、何も質問できませんでした。みんな、こんな思いをしているのか、それとも私が自意識過剰なだけなのか、不安も解消されることがないまま戸惑うばかりでした。

ここで産みたくない!!

本能なのか、6か月の時に、助産院へ転院することを決意しました。

そして、11年前、初めてマイ助産師さんに会ったときのことを今でも、鮮明に覚えています。

ここでは、あなたがしたいようにすればいいのよ。

女性は、ちゃんと自分で産む力をもっているのよ。

私は、いつのまにかお母さんになることを気負っていました。不安いっぱいだった私の心と体に、助産師さんの笑顔と言葉が、魔法のように効いて、初めて会ったのに、とにかく夢中で話をして、帰るころには、気持ちも軽くなって、つわりも和らいだ気がしました。夫もその変化に驚いたほどです。

それからは検診も本当に楽しみになりました。まっすぐ向き合い、自分のこと、家族のこと、いろんな話をしました。30分から、時に1時間以上も!!いつでも、安心感、信頼感に包まれていました。

ただ、3人のお産は、すべて順調だったわけではありません。長男の入院、パニックなまま過ぎた次男の水中出産、貧血、これが本当の股ずれか知ったひどい静脈瘤、気管支炎のまま迎えた長女の出産…

でも、どんな時でも、助産師さんが寄り添ってくれたので、不安になることはありませんでした。3人目で初めて静脈瘤になったとき、恐る恐る鏡で下陰部を目の当たりにしたときは、検診の時まで、大変な病気にかかってしまったんじゃないかと正直、不安になったけど、

静脈瘤だね~痛かったでしょ。

と一通り説明を聞いて安心し、

今まで見た中で一番ひどいけど、大丈夫!!

という言葉に力が抜けました。特に一番という言葉がむしろ誇らしくさえ思えました。

お産の時には、ほめ言葉のシャワーを浴びせ続けてくれたおかげで、痛いのに、すごく気分がよくなって、褒められると調子に乗るタイプだという、新たな自分を発見することもできました。

とにかく、何度もあなたなら、大丈夫!という言葉に力をもらいました。

赤ちゃんのことは、もちろん、自分のことを大切にしてもらったという経験が、お母さんになる私に覚悟と自信をつけてくれました。助産師さんとのお産は、本当に幸せな時間でした。産後すぐにつけた日誌には、毎回、またここで産みたいと書いてあります。長女の出産から、5年たった今でも、まだ思い続けています。

(以下、スライド部分は省略)

さて、私は、自分の幸せなお産体験から、助産師さん、助産院、お産に深い関心を抱きました。そして、2年前の3月に、お産ラボを立ち上げました。

出産は、女性の人生においてとても大きな出来事なのに、自分のお産について振り返ったり、語ったりする機会は、ほとんどありません。妊娠する前に、学校で学ぶこともありません。お母さんを中心にみんなでお産体験をシェアし、ともに学ぶ場所、それがお産ラボです。

ちょうど2年前の3月、お母さん2人で立ち上げた当初から、月に1度、お産を語る座談会を開いてきました。毎回のように、助産師さんも参加してくださっています。

お産ラボには、特別なテーマや会ごとに目指すゴールがあるわけではありません。ただただ、お産について語る、聞く、考える、想いを共有することを大切にしています。でも、沈黙する、話さないという選択肢もあります。

座談会では、はじめに自分のお産、お産に対するイメージを漢字一字で表してもらいます。

10人10色のお産…

産む場所も産み方も、様々です。喜び、悲しみ・・・いろんな感情があります。学生さんや妊婦さんお産のイメージの多くは、怖いや痛いです。でも、お母さんたちが選ぶ一字は、それぞれで、いろんな想い、ドラマが詰まっています。命の誕生の瞬間は、神秘的でどこまでも奥深いです。

お産ラボの活動を通して、お母さん、助産師さんたちのお話を聞くたびに、自分のお産とのギャップを感じ、お産を取り巻く環境が過酷で、いろんな問題があるのではないかと考えるようになりました。

個人の問題ではなく、社会の問題ではないかと…

そんな時に出会ったのが、出産ケア政策会議です。

“命を育む女性を大切にできる社会を自分たちの手で創る”

その目的に共感し、志の高い助産師さんたちとともに学び、お母さんの立場で想いを伝えてきました。

お産ラボでは、これまでに、お産や子育てについて、シェアすること、知ること、選択すること、行動すること、を意識して、いろんなイベントを開催してきました。。

男性がお産を語る、おっさんラボ、マイクロバースの上映会などなどです。昨年は、立ち上げ当初からの目標だった、いいお産の日のイベントをお産ラボ仲間で作り上げました。

私自身もそうでしたが、驚くほど、お母さんたちは、お産・母子の専門家である助産師さんの存在を認識していません!お産ラボでは、活動を通して、お産・育児をキーワードに、助産師さんと地域の人たちを、つなげる役割も担っていきたいと思っています。マキコミュニケーション!!みんなを巻き込み、つなげていきたいと思います。

私には、5歳の娘がいます。娘がお母さんになるときに、助産院という選択肢も残してあげたいし、すべての女性がマイ助産師を選べ、自分らしいお産ができる未来にしていきたい。

そのためにも、自分の体験をシェアし、当事者である私たち女性が情報を共有し、声を上げていくことが、大切だと思っています。

先日、静岡では、マイ助産師制度のシェア会をしました。一人一人ができることをしていくという観点を持ちながら、マイ助産師制度の実現に向けて、少しづつ前に進んでいきたいと思っています。

もともと目立つことも、人前で話すのも苦手な私が、お産ラボの活動をし、こうして今ここに立っていることが自分でも不思議です。

私の人生は、助産師さんとの出会いでがらりと変わりました。

すごく大切なので、最後にもう一度言います。

助産師さんたちには、女性の人生を、日本の未来を変える力があります。

親愛なる助産師さんへ

お母さん、赤ちゃん、家族、いのちに寄り添って下さる 助産師さんたちに心から感謝します。いつも、ありがとうございます。

そして、これからも、よろしくお願いします!

 

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